メッセージ 西成彦 教授・研究科長(2006~08年度)

-先端的研究と大学院教育のより望ましいあり方をもとめて-

 人類がこのさきどうなっていくのか。あまり明るい未来が人類に約束されているようには思えないので、こうした先へ先へ焦って進むような議論に、私はほとんど興味がありません。
私たちの研究科は「先端」の名を頭に冠していますが、歩みの鈍いものを容赦なく切り捨て、ぶっちぎりのトップを走ろうなどという大それたことを意図しているわけではありません。
皮肉な言い方ではありますが、生まれたその日から、遅々としてではあれ、死んでゆくべく運命づけられた人間のひとりひとりの「死のプロセス」に目をこらすこと-それこそ、自分もまた死にゆく存在である私たちひとりひとりが同じひとりひとりの死にゆく姿に目を凝らすようにして物を考えていくことが、私たちの研究科が他の追随を許さない独自の路線なのではないかと私は思っています。
そう言えば、この大学院を構想する段階で、「センタン」を「先端」ではなく、「尖端」と綴ってみてはどうだろうかと、なかば本気で口にした教員がいました。他ならぬ私のことなのですが、この機会にそのときの私の真意をここで披露しておきましょう。
私がとっさにイメージしたのは、線香花火でした。線香花火の最後の火花のように、わらしべの「尖端」で持てる力を絞りつくすような研究にこそ、私たちの目指す方向性があるのではないか。時代が前へ進もうとすれば進もうとするほど、命をすりへらして先細り、時代の速度からこぼれおちていく人々の死がある。そこのところをしっかり押さえることこそが、私たちの共通の理念であり、目標なのではないか。
いまにして思えば、かならずしもしかつめらしい会議室での議論に一息入れるための思いつきのジョークにとどまるものではなかったような気がしています。

本研究科は、当面の課題として「公共」「生命」「共生」「表象」という四テーマを掲げ、十二名の教員と百名を越える院生が、単に教え教わるだけでなく、共通のプロジェクトのなかでそれぞれの居場所と役割をみつけ、その与えられたポジションのなかでの最善を尽くすという従来になかった大学院における研究の形を模索中です。そのさいにも、だれか牽引者がぐいぐい先頭を走ってひっぱっていくのではなく、ひとりでもブレーキをかけるものがあらわれたときには、全員でそこに立ち止まってみるというルールをたいせつにしたいと思います。
じつは、2003年4月に発足した本研究科は、2008年3月に、行政用語でいわゆる「完成年度」に達します。そこからさきの進め方については、本年度・来年度をかけ、大学と教員と皆さんとでじっくり意見を交し合ったうえで構想していこうと思っています。その意味でも、院生の皆さんには、大学院との関わり方について自問自答を続けていってほしい。
かつて旧態依然たる「象牙の塔」を打破すべく、学生たちが群れをなして立ち上がった時代がありました。その後、日本の大学がどれほど生まれ変わりえたか、ほとんど検証がなされないまま三十年以上の歳月がすぎ、いまや大学改革の陣頭指揮をふるっているのは、文部科学省です。私たちの研究科もそんな文部科学省が敷いた改革の王道を歩む研究科だと傍目には見えているようです。しかし、そうした表看板の裏側で、ほんとうに内実のともなった大学院教育や先端的な研究がなされえているのかどうか。そういった問題についても、きちんと話し合える場を確保していこうというのが私たちです。どんな小さな意見でも、受け付けるのが私の役割だと覚悟を決めていますので、遠慮なく申し出てほしいと思います。

研究科長  西 成彦

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