院生からの声

*下記は2021年度在籍院生の方々の声です。

柴田 惇朗(公共領域)

闘争としての芸術を、芸術家の視点から考える

私は小劇場演劇をフィールドに芸術社会学の研究を行っています。これまで小劇場演劇に様々な形で関わっていました。一見非合理なほどコストのかかる活動を、主に積極的に、ときに消極的に続ける演劇人たちはいかなる合理性でその活動を続けているのか。このような演劇人たちのリアリティを記述したいと思い研究をはじめました。大学院に入ってから参考にしてきたのは、ピエール・ブルデューの芸術を「象徴闘争」として捉える見方です。芸術には各々が自身の資本や性向を用いて他者と競い合い、社会的な上昇を目指すという側面があります。この考え方は一見個人の天才性の発露に見える芸術生産が社会的に価値付けられ、結果的に社会的隔差を再生産する機能まで持ちうる事を気づかせてくれます。今後の課題はこのような社会的ジレンマの存在を前に、ここの芸術家が自身の活動をどのように捉え返したうえで芸術家であり続けるために何をしているのかを記述することです。

OUYANG Shanshan(オウヤン シャンシャン)(公共領域)

障害のある性的少数者における活動と社会運動の参加を考察する

学部時代は中国の大学で映像制作を勉強し、同性愛者の若者が抱えるジレンマについてドキュメンタリーを制作しました。その後、個人の生活経験を重視しながら、セクシュアル・マイノリティにかかわる組織や社会運動の研究を深めたいと考え、日本に留学に来ました。先端研の公共領域に入学後、障害学、障害者運動に関する研究に触れ、現在はLGBTと自認する障害者(障害のある性的少数者)の活動と社会運動の参加に焦点を当てながら研究しています。具体的には、交差性という観点から、複合マイノリティ問題と差別問題を明らかにしたいと考えています。また、当事者たちの社会的かつ政治的実践を考察することで、障害者運動とLGBT運動を見直し、連帯の可能性や社会運動モデルを検討しています。先端研では、多様な分野の教員から指導をいただけること、異なる専門領域を持つ学生同士で交流できることが私とってはとても有利で魅力的です。

QU Honglin(キョク コウリン)(生命領域)

日本統治時代における台湾の産婦人科の形成と変遷を辿る

台湾は東アジアにおける生殖補助技術のハブだと言っても過言ではありません。コロナ禍の中においても、数多くの日本人が台湾に赴いて、生殖補助技術を受けています。ところで、台湾において性・生殖が医療化される歴史は120年前の日本統治時代に遡ります。近代医学がどのように生殖的身体を再構築するのかという謎を解くため、私は日本統治時期の台湾に着眼し、19世紀末からの医院年報、統計書、公文書、学術誌、新聞記事、文学作品などの史料を幅広く掘り上げて、調査を行っています。さらに、先端研という場で、複数のディシプリンの教員や院生同士と切磋琢磨しながら、自らの研究をCTのように断層撮影で再構成し、歴史の中に隠された現代のあり方を浮き彫りにすることを目指しています。

塩野 麻子(生命領域)

近代日本の結核から疫病下の「生」を思考する

私は、近代日本の結核をめぐる言説について研究を進めながら、疫病と隣り合う「生」をとりまく意味の複雑さを考察しようとしています。結核は近代日本で最も多くの死亡者を出した伝染病として知られています。当時の医学的見解では文明国の人口の多くがすでに結核菌に感染していると考えられ、日本でも体内に侵入した病原菌をむしろ「免疫」として飼い馴らそうとする結核の「発病予防」が模索されました。私はこの「発病予防」に注目し、病原菌を日常的に制御するという考え方が近代日本でどのような意味をもったのかについて、調査をしています。先端研には、ディシプリン横断的な知を創出し、これを研究成果に結実させる環境が整っています。私も、恵まれた環境のなかで、歴史学のみではなく哲学や文学、社会学といった様々な学問の知を深めることができています。それが、自身の研究活動をよりスリリングなものにしてくれています。

有馬 恵子(共生領域)

着実にどこかへ向かって進んでいく

私は現在、京都市の出町桝形商店街と左京区中部を対象として小規模自営業者と地域社会変動を調査しています。ものを調べたり考えたり論文を書いたり、という営みは、進めれば進めるほど、わかることが増えると同時に、わからないことも増えていきます。ひとつの事柄を追ってゆくと、また新たな発見があり、それが膨らんでいくわけですから、また整理して・・・・という作業の繰り返しです。結果的に最終成果物としての論文に、直接活かされないとしても、そうした経験のすべてが書くことに寄与しているのではないかなと思います。書くことと同時に私の場合は、芸術祭での展覧会やワークショップ、トークイベントの企画などの仕事の中にも研究が入り込んでおり、書くことと活動との境界がなくなりつつあります。書くことと活動のフィードバックを繰り返すことで、結果がループし増幅しているように感じられます。それぞれの場所を行き来しながら出会いと対話を重ねることにより、着実にどこかへ向かって進んでいくような気がしています。

酒向 渓一郎(共生領域)

スンバ島の贈与をめぐる創造性を解き明かし、人間の経済について思考する

インドネシア東部に位置するスンバ島には、私たちが暮らす社会と同様に、市場経済が浸透しています。人々は貨幣を介して様々な商品を売買しています。しかし、婚姻や葬儀といった慣習儀礼において、親族集団の間では、依然として贈与を基盤とした、様々な財の贈り合いが重視されてもいます。人々にとって財を贈与することは、市場で商品を売買することと異なります。なぜなら、贈与される財には、ただ棚に陳列された商品には無い「何か」が付与されているからです。それは、贈り手の人格の一部であり、贈与される財には人間関係の創造に対する期待が込められています。この社会には、商品交換のように人と人の関係が切り離されてしまうような経済とは異なる「経済」が存在しているのです。市場経済の論理が支配的に思えるこの世界において、贈与を基盤とした、人と人を結びつける「経済」が残っていること。その意味を今一度問い直すことで、人間の経済とは何かを考えていきたいです。

藤本 流位(表象領域)

2000年代以降の現代美術から「暴力」とは何かを考える

現代美術の世界では、アーティストたちが社会に関与することを求めて、絵画や彫刻などの造形作品をつくりだすだけではなく、パフォーマンスを通じた状況の制作や管理そのものを作品化するようになっています。国内においても頻繁に開催されている「国際芸術祭」でも、このような作品は数多く見受けられ、現代美術はより政治化された学問として発展しています。わたしは「2000年代以降の現代美術における暴力の表象」というテーマで、とりわけ人々のあいだにある社会的・経済的な差異を暴露するようなかたちの作品に関する調査を行なっています。そのような作品の価値を判断していくためには、美学的な知識だけではなく、政治学や社会学、現代思想の視点を導入する必要があります。先端研は、これらの領域を横断している学際的な研究科であり、授業やプロジェクトなどを通して、他領域の院生・教授にも接続していけることが魅力です。ここで、より学際的な視座から見識を深めていきたいと思っています。

WANG Qionghai(オウ ケイカイ)(表象領域)

アニメーションの音画理論から探る、メディアと感覚の変容

中国で修士課程を修了した私は、新海誠が代表するミュージックビデオ的なアニメーションに関心を持っていました。映像と音の接合は、今や当たり前なことですが、かつてはとても新鮮な体験でした。1920~1930年代のトーキー映画史を振り返ると、サイレントの芸術性を称揚する映画界に対して、むしろディズニーが代表するアニメーション業界が映像と音の接合を推進していました。先端研で私が進めている研究は、このトーキーの黎明期における映像と音の接合問題について、当時の日本の映画評論界でよく使われていた特殊な言葉「音画」に焦点を当て、その内実を明らかにするものです。「音画」というソビエト映像理論由来の言葉は、政治思想史的な側面はもちろん、メディアの変遷の問題も包摂しています。その政治思想とメディアの交差地点で、人間の感覚の変容を探り、映像と音の接合が一般化した現代を捉えるための新しい視点を提供できるよう、研究に取り込んでいます。

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