松原 洋子:2018年度業績一覧

論文等

・松原洋子, 「強制不妊手術問題と公文書管理」『現代思想』, 46巻10号, pp.85〜94 , 2018年6月.
・松原洋子,「優生保護法の歴史が問いかけるもの」『診療研究』 538巻, pp.15〜19, 2018年6月.
・松原洋子,「引揚者医療救護における組織的人工妊娠中絶——優生保護法前史」,坪井秀人編『戦後日本を読みかえる 4 ジェンダーと生政治』,臨川書店,35−77頁,2019年3月.
・「コラム1 科学をグローバルヒストリーで捉えなおす」,山下範久編『教養としての世界史の学び方』, 東洋経済新報社, 401-407頁,2019年3月。

報告等

・松原洋子, 「優生保護法下での優生学的適応による人工妊娠中絶——地区優生保護審査会の役割を中心に」, 2018年5月26日, 日本科学史学会第65回年会,
・Matsubara,Yoko, “From a militaristic state to a cultured nation: Resetting eugenic policies after the collapse of the Empire of Japan,” 29 July 2018, International Workshop: Population and Reproduction in Japan:From the Perspective of Global History, Kyoto・Hotel Granvia.
・松原洋子, 「優生保護法の批判的再発見」, 2018年12月8日,公募ワークショップII「優生保護法下の強制不妊手術と生命倫理」,日本生命倫理学会第30回年次大会.
・松原洋子,「コメント」, 2019年1月11日,「医学研究・臨床試験の倫理-わが国の事例に学ぶ」書評会.

講演等

・松原洋子,「論点争点 強制不妊で国提訴 優生政策解明と検証を」(インタビュー)『日本経済新聞』2018年5月28日.
・松原洋子, 「優生保護法下での強制不妊手術問題————歴史的観点から」, 公開講演会 第47回社会福祉のフロンティア「旧優生保護法と強制不妊手術:国家責任を問う」,立教大学社会福祉研究所、立教大学池袋キャンパス , 2018年6月30日.
・松原洋子,「優生保護法の歴史と現在」 9.24共に生きる集会 「踏みにじられてきた障害のある人の性と生殖——優生思想のない地域社会に向けて」, 優生思想のない地域社会を創る会,熊本学園大学, 2018年9月24 日.
・松原洋子,「優生保護法と日本の優生政策」,まちだ市民大学HATS人間学「人間科学」講座,町田市教育委員会生涯学習部, 町田市・町田市生涯学習センター, 2018年10月3日.
・松原洋子,「優生学の歴史と現在—優生保護法を中心に」,大阪私立学校人権教育研究会障がい者問題研究委員会,大阪市・ドーンセンター,2018年10月16日.
・松原洋子,「優生保護法と強制不妊手術 —その歴史的背景」,全日本民主医療機関連合会理事会,東京都・平和と労働センター,2018年10月19日.
・松原洋子,「強制不妊手術 法案修正過程の「攻防」 対象拡大にGHQ疑義 ゆがんだ「理想」排除正当化」(コメント) 『毎日新聞』 2018年6月25日.
・松原洋子,「調査報道、当事者救済導く」(コメント) 『毎日新聞』 2018年9月6日.
・松原洋子, 「隠れた刃 戦後の闇優生保護法」(インタビュー)『京都新聞』2019年2月14日.

学会活動

日本科学史学会:全体委員、和文誌委員
日本生命倫理学会:評議員、常任理事、企画委員会委員長
日本科学史学会生物学史分科会:『生物学史研究』編集委員
日本学術会議第24期・第25期連携会員(第一部史学)
日本医史学会・日本医療保健社会学会・科学技術社会論学会・科学社会学会・国際公共経済学会会員 

研究会等の関連企画

・「優生保護法下での強制不妊手術問題————北海道を中心に」立命館大学平井嘉一郎記念図書館2018年6月7日.(生存学研究センタープロジェクト生命倫理政策史研究会)
・International Workshop: Population and Reproduction in Japan:From the Perspective of Global History, Kyoto・Hotel Granvia, 29 July 2018.(Dr. Aya Homeiと共催、立命館大学研究成果国際発信プログラム)
・ワークショップ「立命館大学における障害学生支援の研究と実践――情報アクセシビリティを中心に」, 立命館大学平井嘉一郎記念図書館, 2019年3月14日. (人間科学研究所研究プロジェクト「電子書籍普及に伴う読書アクセシビリティの総合的研究(IRIS)」)

メッセージ 小泉義之 教授・研究科長(2018~2019年度)

―学問のFacies Hippocratica―

小泉義之
 本研究科は2003年4月に発足して以来、数多くの院生を迎えてきました。これは本研究科の大きな特徴になっていますが、様々な場所から様々な人々を院生として迎えてきました。どんな指標をとるにしても、これほど多様な院生で構成されている研究科は他には見当たらないと思います。ダイバーシティが大学行政において唱えられる以前から、本研究科では、院生も教員もその厳しさと悦びを経験してきました。
 本研究科発足から15年が過ぎ、学術博士号を取得して巣立っていく院生は100名の大台を超えています。新卒で進学した院生でアカデミックポストに就く割合は、他大学・他研究科に比べ相当に高い水準に達しています。社会人院生は、すでに別の研究機関・公共体・企業に所属したり、各種の地域活動体・市民運動体を担ったりしながら学術博士号を取得して改めてそこでの活動の糧としています。専門職を有する院生は、広い視野から研究し実践する力能を高め、所属する専門分野でもキャリアアップしています。このように、本研究科は、大学の研究高度化を主導し、学界や社会に対しても大きく貢献してきたと言えます。

 本研究科の院生は、学術振興会特別研究員の採用数も多くなっています。また、多くの院生が、本学の様々な支援制度を活用して国際学会発表や海外調査を進めたり、国内外の学会誌に論文を掲載したり、学内外の助成制度を利用しながら博士論文を出版したりしています。こうした研究の方途を、本研究科は開設当初から切り開いてきました。
 ところが、いまでは、その方途は当たり前のこととなっています。分野によりけりですが、誰もが留学し、誰もが海外の学会で発表し英語論文を投稿し、多くの人が博士論文を単著として刊行するようになりました。これも分野によりけりですが、誰もが同じ方式で調査を行い、誰もが同じ分析方法を駆使し、誰もが似た考察を叙述し、誰もが多くの論文を生産するようになりました。社会人や専門職についても、院生として受け入れる大学院が増えてきましたし、誰もが似たような仕方で専門分野を人文科学的に料理するようになりました。要するに、大学院での研究は、完全に標準化したのです。ある種の啓蒙的理性が勝利したと言ってよいかもしれません。あるいは、ある種の歴史がここに来て終焉したと言ってよいかもしれません。それはそれでよいことでしょう。
 しかし、他方で、このような状況に、学問の死相が出ているのを見てとらないわけにはいきません。また、20世紀末から21世紀にかけての政治・経済・社会の変動に対して、このように標準化した学問研究体制が十分に対応できているとはとても言えません。「外部」から大学と大学院に寄せられる批判の多くは噴飯物ではあるのですが、そのような批判を許してしまうような死相が「内部」に出ていると考えざるをえません。

 ヴォルター・ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』は、1925年にフランクフルト大学に教授資格申請論文として提出されましたが、予備審査の段階で否定的評価および撤回勧告を受け、ベンヤミン自ら撤回したものです。現代で言えば、博士学位請求論文として提出されたが、審査を進めたなら不合格になるのは間違いないということで撤回を勧告されて、自ら引き下げたものということになります。当時の審査基準からすれば標準的水準に達しなかったと判定されたわけです(私はその判定に多少の理はあると思っています)。そこから、「歴史」と「アレゴリー」を論じた有名な一節を引いてみます(「歴史」を「学問」ないし「学問の歴史」と読みかえて下さい)。

「アレゴリーにおいては、歴史の死相(facies hippocratica〔ヒポクラテスの顔、死相の現われた顔〕)が、硬直した原風景として、見る者の目の前に横たわっているのである。歴史にはそもそもの初めから、時宜を得ないこと、痛ましいこと、失敗したことが付きまとっており、それらのことすべてに潜む歴史は、ひとつの顔貌――いや髑髏の相貌のなかに、その姿を現わすのだ。〔……〕この最も深く自然の手に堕ちた姿のなかには、人間存在そのものの自然〔本性〕のみならず、ひとつの個的人間存在の伝記的な(biographisch〔生記述的な〕)歴史性が、意味深長に、謎の問いとして現われている。これがアレゴリー的な見方の核心、歴史を世界受難史として見るバロックの現世的な歴史解釈の核心である。」(浅井健二郎訳〔一部改変〕、ちくま学芸文庫下巻、29‐30頁)

ベンヤミンは、学問の凋落、学問の廃墟、学問の髑髏を見てとっていたのです。そして、まさにそこに「問い」と「意味」を感知していたのです。
 もちろん本研究科はベンヤミンを落とすなどという馬鹿な真似はしません。むしろベンヤミンのような院生も育てたいと考えています。それにつけても、どうしても何ごとかを考えたい調べたい書きたいという思いから出発して、学問を習得しながらもその学問の死相を感知する必要があります。そのとき、学問の死相をアレゴリー的相貌と捉えて救うだけでよいのかは定かではありません。ベンヤミンの方途がよいかどうかはわからないのです。そう、何も定かではないし何も決まってはいないのです。いずれにせよ、現状の学問に死相が出ているとするなら、それは、これから大学院に進学する人にとって好機です。

2018年4月1日
立命館大学大学院
先端総合学術研究科長
小泉 義之

小泉 義之:2018年度業績一覧

著作

・『あたかも壊れた世界――批評的、リアリズム的』青土社、230p

論文

・“From Dreaming of Desert Islands to Reterritorialising Philosophy,” Deleuze and Guattari Studies, Apr 2018, vo. 12, no. 2, pp. 268-282
・「ゲーム仕掛けの神――山本直樹『ビリーバーズ』を読む」『ユリイカ』9月臨時増刊号、pp. 198-204
・「生還者の自尊――善の希薄理論のために」井上彰編『ロールズを読む』ナカニシヤ出版、pp. 124-145
・「リアリズム論争のために――分析哲学のドイツ的総合の惨めさについて」『現代思想』10月臨時増刊号、pp. 165-176
・「最後のダーク・ツーリズム――『少女終末旅行』を読む」『アレ』Vol. 5、pp. 6-16
・「ドゥルーズの霊性――恩寵の光としての自然の光」檜垣立哉他編『ドゥルーズの21世紀』河出書房新社、pp. 207-245

その他

・「絶滅論の争い」『文學界』5月号、pp. 154-155
・「インタビュー:「生命」と「生殖」の現在」『アレ』Vol. 4、pp. 6-40
・「討議:思弁的実在論「以後」とトランプ時代の諸問題」(千葉雅也・仲山ひふみと)『現代思想』1月号、pp. 8-33

岸 政彦:2018年度業績一覧

単著

はじめての沖縄. 新曜社, 2018-05
マンゴーと手榴弾. 勁草書房, 2018-10

共著

社会学はどこから来てどこへ行くのか. 有斐閣, 2018-11(北田暁大・筒井淳也・稲葉振一郎)

対談・講演録

石原俊 ×小川さやか×岸 政彦 パートナーシップ委員会2018120鼎談抄録
星野智幸×岸政彦「誰が今、物語を紡いでいるのか」(2)文学と社会学の違い 本の窓 41(2). 2018.02,
星野智幸×岸政彦「誰が今、物語を紡いでいるのか」(3)文学が社会を描く時 本の窓 41(3). 2018.03・04,
星野智幸×岸政彦「誰が今、物語を紡いでいるのか」(4)物語が生まれる場所 本の窓 41(4). 2018.05,
星野智幸×岸政彦「誰が今、物語を紡いでいるのか」(5)居場所か、承認か 本の窓 41(5). 2018.06,
星野智幸×岸政彦「誰が今、物語を紡いでいるのか」(6)紡ぎ手としての責任 本の窓 41(6). 2018.7,

[事実への信仰 : 荻上 チキ, 立岩 真也, 岸 政彦] 現代思想 46(2), 青土社, 2018.02,
物語/歴史/人生 : 個人史から社会を考える三つの方法(講演録)関西学院大学先端社会研究所紀要. 2018-03, 第15号
『はじめての沖縄』刊行記念:岸政彦さん×温又柔さんトークショー 「境界線を抱いて」その1 ブクログ通信, 2018-07
[花田菜々子 × 岸政彦] Web河出, 2018-07
[藤井誠二 × 岸政彦] SYNODOS, 2018.09.14,
岸政彦×藤井誠二=対談 沖縄からの問いかけ 週刊読書人ウェブ. 新聞掲載日 2018-10-19, 第3261号
[信田さよ子 × 岸政彦] “マジョリティとはだれか 現代思想. 2018-12, 46(18)

文月悠光@NHK文化センター渋谷2018-04-07
立教女学院2018-05-12
新城和博@ジュンク堂那覇店2018-07-17
立岩真也@スタンダードブックストア心斎橋2018-07-30
柴崎友香@梅田蔦屋書店2018-07-21
川上未映子@紀伊國屋ホール2018-08-03
AMSEA講演会@東京大学2018-11-16
リン・ディン@スタンダードブックストア心斎橋2018-11-25
松尾匡・小川さやか@京都2018-11-30
北田暁大・筒井淳也・稲葉振一郎@梅田蔦屋書店2018-12-23
松本卓也@京都大学2019-01-10
光嶋裕介@スタンダードブックストア心斎橋2019-01-18

取材

2018-05 ひとを理解するとは、自分を壊すこと コトノネ. 2018-05, Vol.26
2018-09 「普通」の⼈々の姿、切り取る 本⼟との境界線考察『はじめての沖縄』刊⾏ 毎日新聞夕刊. 2018-09-10
2018-12 「沖縄」を考える 土砂投入 基地押し付けているのは誰 岸政彦さん 朝日新聞 朝刊. 2018-12-25
2019-02 現代の肖像: AERA. 2019-02-18
2019-02 ネコメンタリー : NHKテレビ番組

その他

好意と感謝 Hanako. 2018-01, No.1149
猫のための家 三井のすまい LOOP LIFE. 2018年春号
創る人52人の「激動2017」日記リレー -100年保存大特集-: 新潮. 2018-03, 115(3)
一度もあったことのないひとと、二度と会わない(鈴木育郎『月夜』寄稿). 2018-03
思考のプリズム: 目隠しされた窓 いきわたる「国家の手」 朝日新聞夕刊. 2018-05-09
寄稿: ゆっくり続く沖縄の戦後 朝日新聞朝刊. 2018-06-22
藤岡拓太郎『夏がとまらない』推薦コメント. 2018-06
思考のプリズム: 「お金がない」に騙されるな 朝日新聞夕刊. 2018-08-22
図書室 新潮. 2018-11, 115(12)
特集, 差別と想像力-「新潮45」問題から考える: 権威主義・排外主義としての財政均衡主義 新潮. 2018-11, 115(12)
思考のプリズム: 猫とは――人生である 朝日新聞夕刊. 2018-11-14
特集, 酒場上手: 酒場でなくてもいい あまから手帖. 2018-11
神は負けても、親切は勝つ アンジャリ. 2018-12, No.36
特集, 「平成」を振り返る: デフレと緊縮に踊らされた大阪 毎日新聞夕刊. 2018-12-22
平松洋子『味なメニュー』新潮文庫 文庫解説. 2018-12
思考のプリズム: 統計データの不正 朝日新聞朝刊. 2019-02-13

人生を想像する (柴崎友香『千の扉』書評). 新潮. 2018-03, 115(3)
自由への味噌ラーメン (ヤンヨンヒ『朝鮮大学校物語』書評). 新潮. 2018-07, 115(7)
辺野古の森と久留米の雪 (大城立裕『あなた』書評)新潮. 2019-03, 116 (3)

Yeah! めっちゃ平日: ナイトキャップ αSYNODOS. 2018-02, vol.238
Yeah! めっちゃ平日: ほんとはここにいない αSYNODOS. 2018-03, vol.240
Yeah! めっちゃ平日: ぴきゅいーん αSYNODOS. 2018-04, vol.242+243
Yeah! めっちゃ平日: 気づかないが、調整している αSYNODOS. 2018-05, vol.244

12.聞き書きのすすめ/一家に一冊、家族の歴史を 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-01-06,
13.移り変わる街/「ほんとうの沖縄」はどこ 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-01-20,
14.風や光や匂い/「ほんとうの」「ふつうの」沖縄 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-02-03,
15.1950年代の沖縄/記録されていない暮らし 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-02-17,
16.内地って何だろう/さまざまな経験と意味 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-03-17,
17.沖縄を「尊敬」する/「正しい立場」とは何か 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-04-16,
18.「ふつう」を歌うBEGIN/リアルな姿 慈しむ 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-05-21,
19.73年前の雨/差し込んだ太陽の光 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-06-18,
20.変わらないもの/人びとの熱い思い 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-07-16,
21.「国と喧嘩してでも」/沖縄がひとつになるとき 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-08-20,
22. 那覇の夜/粋なウチナーンチュ 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-09-17,
23. 知事選にみる政治と経済/人びとの暮らしを大切に 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-10-15,
24. 気候が違うということ/風邪ばかりひく冬の沖縄 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-11-19,
25. 普段着の知事/重い現実 乗せるのは誰か 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2018-12-24,
26. 「地元」の特別な意味/共通するのは沖縄への愛 琉球新報朝刊, 「沖縄を探して」, 2019-01.21,

第1回 2018年1月15日〜2月7日 にがにが日記―人生はにがいのだ。―, Webでも考える人, 新潮社,
第2回 2018年2月10日〜2月22日 にがにが日記―人生はにがいのだ。―, Webでも考える人, 新潮社,
第3回 2018年2月23日〜3月20日 にがにが日記―人生はにがいのだ。―, Webでも考える人, 新潮社,
第4回 2018年3月25日〜4月19日 にがにが日記―人生はにがいのだ。―, Webでも考える人, 新潮社,
第5回 2018年4月30日〜5月19日 にがにが日記―人生はにがいのだ。―, Webでも考える人, 新潮社,
第6回 2018年5月23日〜7月15日 にがにが日記―人生はにがいのだ。―, Webでも考える人, 新潮社,
第7回 2018年8月5日〜8月24日 にがにが日記―人生はにがいのだ。―, Webでも考える人, 新潮社,

五木ひろしの夜 PHPスペシャル. 夜はだいたい千の目を持つ ,2018-12
那覇と台北のジャズの夜 PHPスペシャル. 夜はだいたい千の目を持つ ,2019-01
中崎町のフラメンコの夜 PHPスペシャル. 夜はだいたい千の目を持つ ,2019-02
音楽は孤独である PHPスペシャル. 夜はだいたい千の目を持つ ,2019-03

『ディスタンクシオンⅠ』帯文. 2018-08 藤原書店
『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』帯文. 2018-09 講談社
『家(チベ)の歴史を書く 』帯文. 2018-09 筑摩書房
『アメリカ死にかけ物語』帯文. 2018-10 河出書房新社
『社会制作の方法』帯文. 2018-10 勁草書房
『波』推薦文. 2019-01 新潮社

後藤 基行:2019年度業績一覧

書籍等出版物

■ 羅針盤としての政策史――歴史研究からヘルスケア・福祉政策の展望を拓く
猪飼周平編(担当:共著)
勁草書房 2019年2月

論文

■ 精神衛生法下の同意入院と現行医療保護入院 ーケア義務からの「解放」という論点
精神医療 (97) 83 – 93 2020年1月

その他

■ アーカイブズを訪ねる 日本の精神医療史アーカイブズをめぐる現状と研究利用 (歴史家とアーキビストの対話(第7回))
歴史学研究 = Journal of historical studies (994) 38 – 42 2020年3月
■ 書評 高林陽展 著『精神医療,脱施設化の起源―英国の精神科医と専門職としての発展1890-1930』」
社会保障研究 (11) 576 – 579 2019年3月

講演・口頭発表等

■ ”Historical Analysis of the Japanese Psychiatric Beds Supply—Social Defense, Treatment, and Social Welfare”. 15th International Conference on the History of Science in East Asia (Chonbuk National University, Jeonju, Republic of Korea) 2019年8月
■ 日本の精神医療史研究におけるアーカイブズ保存と利用の現状
2019年度第1回自然科学系アーカイブズ研究会 (高エネルギー加速器研究機構) 2019年8月
■ 精神医学史研究とアーカイブズの現況
第115回日本精神神経学会学術総会(新潟) 2019年6月20日
■ 「日本の精神科入院の歴史構造」合評会
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属共生のための国際哲学研究センター(UTCP)上廣共生哲学寄付研究部門「障害と共生」プロジェクト 2019年5月23日
■ 日本の精神科入院の歴史構造と「社会福祉」的入院―貧困と家族ー
第45回日本保健医療社会学会大会(ラウンドテーブル・ディスカッション「へルスケア政策・社会福祉政策における政策史研究の射程」) 2019年5月18日

所属学協会

■ 日本保健医療社会学会、
■ 日本精神神経学会
■ 社会事業史学会
■ 社会政策学会
■ 日本社会精神医学会
■ 日本精神医学史学会

後藤 基行(ごとう・もとゆき)

後藤基行顔写真

領域

公共

職位

准教授

専門

歴史社会学
精神医療史

担当科目

公共論II/公共論CB
応用講読演習II/公共講読演習CB
プロジェクト予備演習III(公共)
プロジェクト演習(公共)

業績

※21年度以降の最新情報は、下記にリンクされている研究者学術情報データベースをご参照ください。

2020年度業績一覧
2019年度業績一覧

関連情報

研究者学術情報データベース

  • 研究者学術情報データベース
  • 公開研究会「ケアとBDSMと親密性」

    2019年度 SOGI研究会 公開研究会「ケアとBDSMと親密性」

    日時

    2020年2月26日(水)14:00~17:00(開場13:45)

    会場

    立命館大学衣笠キャンパス創思館401・402
    立命館大学衣笠キャンパスマップ(30番の建物)

    講師

    小西真理子(大阪大学)

    プログラム

    親密な関係を求める事がない人や、「普通」ではない性的嗜好を持つ人を、病気や異常者としてみなす傾向は未だに日本社会には存在する。だが逆に、セクシュアリティが生殖の意味だけのものであった時代はごく限られているともいいうる。日本社会においても「変態」は常に存在し、それに意味を付加していくために、性科学や精神分析が輸入され発展していったと言ってもよい(『変態性欲論』)。そうした文脈から、一部では肉体よりも精神を重視するロジックも強まり、婚前セックスや同性愛が公共的空間で共有されていく背景には、「当人同士が愛し合っていればよい」という「愛」やコミュニケーションにもとづいた関係性重視の傾向も浮上してくる。「性欲とは異なる性」としてのセクシュアリティが、人格やアイデンティティの中核にある人間的要素のバリエーションの一つとして出てくる事もある。すると、「正常」なセクシュアリティから逸脱したものは性的サディズムや性的欲求低下障害として、治療対象にされてしまうという状況も作り出される。そこから、「正常」とされるセクシュアリティに付随している性規範を、ケア、性的嗜好における嗜虐的性向(BDSM)、親密性を中心に批判的に検討していく必然性が生じる。
    今回の研究会では、そうした批判的検討の一環として、BDSMを事例に小西真理子氏からご報告いただき、議論していく事にしたい。

    企画趣旨

    趣旨説明
    長島史織(先端研院生)
    招聘講師の講演
    小西真理子(大阪大学)
    院生の発表&ディスカッション
    長島史織 (先端研院生)
    欧陽珊珊(先端研院生)
    コメント
    酒井麻衣子(立命館大学文学部初任研究員)

    ・ご講演については、小西真理子『共依存の倫理』(2017年、晃洋書房)に事前にお目通しいただくと、より理解が深まるかと思います。

    2018年度立命館大学大学院先端総合学術研究科パートナーシップ委員会企画

    2018年度立命館大学大学院先端総合学術研究科パートナーシップ委員会企画

    「対話的教養」――分野横断を越えた知的基盤とは何か


    2018年度パートナーシップ委員会企画ポスター

    ※クリックでPDFファイルダウンロード

    日時 2019年1月27日(日) 15時~18時(開場14時半)
    場所 立命館大学衣笠キャンパス:アクセスはこちら
    創思館1階カンファレンスホール:キャンパスマップはこちら
    参加無料・事前申込不要
    プログラム

    第一部 
    15:00-15:15 企画主旨説明
    15:15-16:15 講演 
    大澤聡(近畿大学准教授)
    ~休憩~
    16:35-17:15 鼎談
    登壇者
    大澤聡(近畿大学准教授)
    岸政彦(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)
    小川さやか(立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授)
    17:15-17:40 質疑応答
    18:00- 閉会

    主催 立命館大学大学院先端総合学術研究科パートナーシップ委員会
    お問い合わせ:gr0263px [at]ed.ritsumei.ac.jp ([at]をアットマークに変えてください)

    ※ 当日の会場で配慮やサポートを必要とされる方は、開催の3日前までにメールでご相談ください。

    2019年度立命館大学大学院先端総合学術研究科パートナーシップ委員会企画

    2019年度立命館大学大学院先端総合学術研究科パートナーシップ委員会企画

    マイクロアグレッションを考える
    ──研究の「多様性」をどう受け入れるか?──

    日時 2020年2月21日(金) 15時~18時
    場所 立命館大学衣笠キャンパス:アクセスはこちら
    図書館カンファレンスホール:キャンパスマップはこちら
    参加無料・事前申込不要
    プログラム

    15:00 開会挨拶
    15:15 講演「研究の場から見るマイクロアグレッション」
    金友子(立命館大学国際関係学部准教授)
    15:55 講演「外国人留学生のメンタルヘルスの実態と課題」
    大橋敏子(国際教育交流協議会多文化間メンタルヘルス研究会代表)
    休憩
    16:50 鼎談登壇者
    金友子・大橋敏子・千葉雅也・Martin Roth
    17:30 ディスカッション・質疑応答
    18:00 閉会

    主催 立命館大学大学院先端総合学術研究科パートナーシップ委員会
    お問い合わせ:gr0371ri[at]ed.ritsumei.ac.jp (欧陽) ([at]をアットマークに変えてください)

    ※ 当日の会場で配慮やサポートを必要とされる方は、開催の3日前までにメールでご相談ください。

    発表要旨

    原塁(京都大学大学院)「武満徹の後期創作におけるイメージとかたち」
     本発表は、武満徹(1930-1996)が作曲したピアノ独奏曲《雨の樹 素描》(1982)について、イメージと「かたち」という観点から考察する。まず、1980年以降の武満のナラティブに、夢の情景や庭の図面といった特定の具体的なイメージを創作の出発点に据える態度が広く認められることを確認する。次に《雨の樹 素描》の構造を分析し、シンメトリーに基づく秩序立った構成を指摘する。その上で、本発表では作品の出発点にある「雨の樹」というイメージについて検討する。「雨の樹」というテーマは、大江健三郎の小説に由来するが、大江と武満の交わりを同時代の日本の社会・文化的背景を踏まえることで、この語が喚起するイメージの内実が明らかにされる。以上の考察をもとに楽曲分析によって明らかになった《雨の樹 素描》の「かたち」と出発点にある「雨の樹」のイメージとの関係性を詳らかにする。

    荒木真歩(神戸大学大学院)「民俗芸能における正統性の獲得――記録映像を用いた習得に着目して」
     本発表は日本の民俗芸能の伝承で過去の記録映像を使用する際に、演者が記録映像のいかなる要素に注目し、芸態の正統性を獲得し習得するのか、その実践を捉えることを目的としている。日本各地の集落に伝わる民俗芸能は、都市化や少子高齢化により集落の人口が少なくなり継承の問題を抱えている。本事例で扱う篠原踊りはその一つであり、問題解決のために集落外の人々も演者として参与し、過去に撮影された記録映像を見ながら歌や踊りを習得するよう新たな習得方法へと舵を切った。
     記録映像を使い始めると演者たちは自身と関係の強い演者に焦点を当ててそれを真似るよう習得する様子が見られた。しかし次第に新たに参与した演者を中心に、映っている演者個人に焦点を当てるのではなく、自身が上手と判断した演者たちの芸態を部分的に参照しそれを習得するようになった。
     これは新たな習得状況の中で再文脈化された映像の見方であり、これまでの演者との社会関係を繋ぎ留めつつ、新たな芸態の正統性を獲得し伝承する実践を詳細に考察する。

    西澤忠志(立命館大学大学院)「明治30、40年代の音楽鑑賞論の展開と問題意識――小松耕輔の音楽評論から」
     本発表は音楽家、小松耕輔の音楽鑑賞に関する評論を通して、音楽そのものの聴取を重視した音楽鑑賞がどのような問題意識から現れたのかを提示する。明治30年代以降、日本の、特に東京で西洋音楽が演奏される機会が増え、その中で西洋音楽は聴く対象として見なされ始める。それとともに、学生を中心とする聴取層が形成された。こうした西洋音楽をめぐる環境の変化の中で、西洋音楽をどう聴くべきかを論じた評論が現れた。この西洋音楽の鑑賞に関する評論に共通する特徴は、音楽に付随するテキストではなく、音楽そのものを聴き取ることで、その曲の「精神」を感受することを重視した点にある。こうした聴取態度がどのような問題意識から現れたのかという点を、同時期に音楽雑誌や新聞を通じて音楽の聴き方に関する評論を発表した音楽家、小松耕輔の評論から明らかにする。これにより、「精神性」を重視する音楽鑑賞が持った思想的背景の一端を提示することを目的とする。

    中辻柚珠(京都大学大学院)「プラハ・モダニズム研究史」
     ヨーロッパ・モダニズムの歴史の中に、プラハのモダニズムはどう位置づくのか。プラハ・モダニズム史は、長い共産主義・社会主義時代の間に研究が滞り、また言語的問題から、日本は勿論、英語圏でも十分に認知されてこなかった。とりわけ、ヨーロッパ・モダニズム史全体におけるプラハの位置づけとなると、殆どのことが知られていない。しかし、当然ながら、知られていないことと価値のないことは全く別次元の問題である。その歴史は、プラハのみで完結しえない、ヨーロッパ全域での国際的なモダニズム運動のネットワークの中に位置づくであろう。本報告では、1895年のチェコ・モダニズム宣言を始点に、主として造形芸術の分野に焦点を当てながら、プラハ・モダニズムの歴史およびその研究史を概観したい。また、その研究史を、報告者の専門であるナショナリズム史の分野に照らし合わせたとき、いかなる論点が浮かび上がるかについても論じたい。

    奥坊由起子(立命館大学大学院)「1920年代イングランドの音楽におけるナショナル・アイデンティティとモダニティ」
     20世紀初頭のイングランドは長らく続いていた外国音楽の強い影響に反発して、自国の音楽諸活動が興隆する音楽復興期を迎えた。この時期に作曲家たちは、それぞれの音楽作品のなかでナショナル・アイデンティティを表現しようと模索したのである。イングランド音楽およびその音楽生活は、そうしたアイデンティティ表出への嗜好とモダニティへの抵抗を示すと考えられてきたが、特に1920年代においてモダニティへの嗜好をも示すと説明されてきた。本発表は、この一見すると矛盾している点に着目したい。1920年代のイングランド音楽において、ナショナル・アイデンティティとモダニティはどのように理解され、それらがイングランド音楽をどのように特徴づけ、そして両者がいかなる関係性にあったのか。本発表はこれらの問題に取り組み、音楽復興期に生じた音楽ムーヴメントも手がかりとしながら、1920年代におけるイングランド音楽を改めて解釈することを目的とする。

    加納遥香(一橋大学大学院)「社会主義ベトナムにおける革命と音楽――ベトナム・オペラ《コー・サオ》に着目して」
     北ベトナムを領土とし、社会主義体制を採用するベトナム民主共和国(1954~)においてつくられた音楽劇《コー・サオ》(1965)は、ベトナムの作曲家によりヨーロッパ発祥のオペラ形式に基づいて創作された初めての「ベトナム・オペラ」作品である。
     一党独裁体制下の同国において共産主義者らは文化領域における「革命」を提唱し、その論理の下でオペラが受容され、《コー・サオ》が誕生した。脚本・音楽を手掛けた音楽家協会の書記長で作曲家のドー・ニュアンはベトナムの民間音楽や歌曲をとりいれながら、1940年代のベトナム西北地方を舞台とした独立革命の物語を描き出した。同作品はベトナム戦争が本格化する1965年に建国20周年を記念して国立のオペラ団により初演された。
     本発表では国内外の情勢、オペラをめぐる音楽文化の形成、《コー・サオ》の表象・上演状況を「革命」を軸に読み解き、社会主義ベトナムにおいて革命と音楽が織りなす様相を明らかにする。

    松本理沙(京都大学大学院)「アクティヴィズム・アートにおける表象と行動――1980年代アメリカを例に」
     本発表は、1980年代にアメリカで隆盛したアクティヴィズム・アートにおけるコミュニティ/公衆の表象について考察するものである。スザンヌ・レイシーやニナ・フェリシンが指摘する通り、アクティヴィズム・アートの特徴はエイズやレイシズムといった社会問題を扱う点にある。彼らは社会への直接的な行動を志向するが、その象徴としてアートワールド外に存在するマイノリティのコミュニティや公衆を作品に取り込んでいく。結果としてコミュニティ/公衆はアクティヴィズム・アートにおいて様々な形で表象されることとなる。本発表はこのコミュニティ/公衆表象の例としてニューヨークで活動した芸術集団グループ・マテリアルを取り上げる。まず、彼らの活動を三つの時期に区分し、それぞれの時期におけるコミュニティ/公衆の表象を示す。次に三つの区分における表象の変遷を詳らかにしていく。それによって、グループ・マテリアルにおけるコミュニティ/公衆とアクティヴィズム・アート自体が有する構造との関係が浮かび上がるだろう。

    田邉健太郎(立命館大学)「映画音楽,物語空間,虚構の語り手」
     本講演では,「物語(narrative)」概念を手がかりとして,映画に関する基礎的問題を考えたい。併せて,分析美学と音楽学(映画音楽研究)の接点を紹介し,今後どのような方向で共同研究が可能となるか,検討する。具体的には,以下の二つの話題を取りあげる。

    (1)映画的語り手:
     文学と同様,映画においても「語り手(映画的語り手(cinematic narrator))」の存在が議論されている。制作者とは別に,映像や音を通じて物語を伝える「語り手」がいると仮定するべきなのか,いるとしたらそれはどのような位置にあり,いかなる役割を果たしているのだろうか。分析美学における論争を概観する。
    (2)映画音楽における「物語世界内/物語世界外」の区別:
     映画の中の音源から発せられ,したがって登場人物も聞いていると考えられる「物語世界内(diegetic)」の音楽,観客だけが聞くことのできる「物語世界外(nondiegetic)」の音楽の区別は,映画音楽研究においてよく知られている。この区別に関連して,二人の論者を取りあげる。まず,物語世界外的音楽を,「映画的語り手」に帰属される事例と,「内在する制作者(implied filmmaker)」に帰属される事例に分類したジェロルド・レヴィンソン(Jerrold Levinson)の議論を紹介する。次に,あらゆる映画音楽は,コスチュームなどと同様に映画の物語の一部であり,したがって上記のような区別は成立しないとするベン・ウィンタース(Ben Winters)の議論を紹介する。

     「物語」概念を軸に話を進めるが,そうした枠組みからこぼれ落ちてしまう側面や,ビデオゲームなど他のジャンルへの応用も,全体討議の際に議論したいと考えている。